中学国語科教員のつぶやき。 ロードムービー

中学校国語教師のブログです。日々思っていることを綴ります。音楽の話も少々。

環境

主張大会があり、本校の生徒も代表となったため、県下の代表となった中学生の発表を聞く機会があった。

 

 

その中でとても印象的だったのが、

環境のせいにしない姿

自分を省みて今後に活かそうとする姿

だった。

 

 

わたしは可哀想じゃない。だって周りの人がわたしを大切にして、愛してくれたから。

 

 

その言葉に、思わず涙が出そうだった。

教師として、家族以上の存在になれない。そんなことは分かっている。だけど、困っている・苦しんでいる子を救いたい。なんとかしたい。

そんな矛盾と戦ってきた。

家族じゃなくても、愛は伝わる。

そんなことを改めて教えてもらった発表だった。

 

 

中学生ってすごい。

師匠

ついにオリンピックが始まった。

始まってみると、ついつい見てしまうのが、国民感情というやつだろうか。

基本的に、レベルが高いものを見るのが好きだし、人を応援するのも好きなのだと思う。

 

 

 

さて、話は変わって、

人には「師匠」と言える人がいるといい。

出来れば、いつまでも自分に厳しいことを言ってくれる人がいいと思う。

 

 

若手の頃は、怒られることが常であった。

だからいつも「くそーっ!」と思っていた。

ごめんなさい。

しかし、所謂中堅と呼ばれる年代に差し掛かると、怒られることがガクンと減った。

世の中はこうやって出来ているんだと、悟った。若手の頃に、厳しくされて本当に良かったと今では思う。

 

 

ただ、中堅といっても、まだ学ぶことは沢山ある。なのに、指導されることが少ない。また、人は言われないと成長できないことも多い。そんなときに頼れるのが師匠ではないだろうか。

 

 

私には3人の師匠がいる。

一人は、大学時代からお世話になっている、指揮を教わる本当の師匠。

あと二人は、同じ学校で勤めた国語科の先輩である。

 

 

何かをしようとするとき、逆に手を抜きたくなるとき、その人たちは何と言うだろうか、と考える。立ち止まることができる。

また、一年の内に数回、レッスンをしていただいたり、授業を見ていただいたりと、ガッツリダメ出しをいただく。

正直、へこむこともあるが、そういう意見なくして成長できないと思う。

 

 

私には、そういう存在の人がいて幸せだと思う。まだまだ成長できる。有難い。

pの魅力

ショパン国際ピアノコンクールをずっと見ています。良い時代だ。

 

 

 

もう、本当に心打たれたのは、

反田恭平さん。

 

 

 

弱奏部の美しさ、一音の響き、音色の奥深さ。

 

 

やっぱり、究極のところは、どこまで音色を突き詰められるか、ではないだろうか。

またfではない、pの美しさをどこまで極められるか。

 

あれだけのピアニストが揃う中でも、埋もれない魅力。

 

 

気に入りすぎて、演奏会のチケットを速攻で取ってしまった。

 

 

夏休み、生で聴けるのが楽しみー!

 

教え子の活躍

前、中3を担任した子たちが、高校3年生の学年になる。

 

その中の一人、Aが硬式野球部で、レギュラーとして活躍している。

 

しかも、県大会で優勝候補の学校を破るという快挙を成し遂げたのだ。

 

少し前、その学校の監督に「A、頑張ってますよ。」と教えてもらい、嬉しい気持ちになっていたところだった。

 

Aは最後まで、進路先を悩んだ生徒だ。

悩んで、悩んで、最終的に今の学校に決めた。

「野球がやりたい」

その気持ちに、嘘はなかったのだ。

きっと、平坦な道ではなかっただろう。けれど、堂々と活躍するA見て、誇らしく思う私がいる。

 

おめでとう。まだ続くよ、頑張ってね。

ずっと、応援しています。

初めての演奏会

今週の木曜日、本校合唱部総部以来初めての演奏会を行うことができた。

 

演奏会といっても、校内の昼休み、とても広い多目的ホールで、感染症対策をこれでもかととり、マウスシールド着用の上で行ったものである。

 

それでも、実現できて嬉しかった。

 

何より、ほぼ全校生徒ではないかと思うほどの生徒や教員が、合唱部のために時間を割いて、方々の場所から一心に音楽を聴こうとするその光景に、気持ちが昂ったのだ。

 

合唱の前に、部長がこう言った。

「私たちは音楽が好きで歌っているけれど、私たちの好きな音楽は人の心を動かす力がある。音楽の力で、私たちは仲間を応援したい。私たちは、音楽の力を信じています。」

 

そうなのだ。簡単だ。音楽には、人の心を動かす力がある。私たちは、それを信じている。

 

小さな、小さなステージだったが、強く胸に刻まれた5分間だった。

きっと、子どもたちも。

 

新しく、教員免許を取ります。

最近、思うことがあって、新しく音楽の教科の免許をとろうかなあと思っています。

 

 

そもそも、吹奏楽部の顧問になりたくて教員を志しました。ですから、最初は音楽の先生になりたかったのです。しかし、一般家庭で、本格的な音楽教育を受けている訳ではなかったので、当時は諦めざるを得ませんでした。(今思うと、そこまでの勇気も足りなかったのだと思います。)

 

 

そして、次に興味のあった教育心理学の道へ進みました。(しかし、大学時代はどっぷり吹奏楽をやっていました。)その中で、国語の免許を取ることにしたのです。

 

 

もちろん、国語という教科は大好きです。

こうして教えていて、教えるのにいつも知識が足りていないと思わせてくれる、どこまでも奥深い教科。一生かかっても学び足りません。国語科として、こんな素敵な教科を教えさせていただいていることに、感謝しかないです。

 

 

ただ、やっぱり自分の原点は音楽かなと。

得意ではないけれど、ずっとずっと好きなものは音楽なのではないかと、最近、実感するのです。

 

 

また、吹奏楽部の主顧問を務めていたとき、どうしても音楽科の先生に引け目を感じていました。もっと音楽を知っていたら…そう思っていました。もちろん、勉強はしていました。しかし、専門的に勉強をしていないことは、自分にとって、とても引け目であったことは事実です。

今、合唱部の顧問となり、音楽は分かっても、十分に指導できていないという不安もありました。

 

 

昨今、コロナ禍で、外出が出来ません。

最初は教科の勉強から始めました。国語、特別活動、道徳…。その中で、やっぱり音楽をやりたい気持ちが、再燃してきたのです。

 

 

勤務下の中で、やっていかねばならないので、大変さはあると思いますが、思い立ったときがやりどきです。

 

今が一番、若い。

 

尊敬する先輩の言葉を胸に、やれることはやっていきたい。そう思っています。

 

 

故郷

コロナで、大変になったことは多くある。

しかしその中で、良くなったこともある。

うちの学校で言えば、学習支援員の先生が新たに派遣されたことだ。

 

その先生は、退職された先生で、退職されてからも私立の中学校で教壇に立たれていた国語科のスペシャリストの方で、私自身、名前は存じ上げていたものの、実際にお会いしたことはなかった。

 

その先生が毎週いらっしゃる中で、3年生の「故郷」の授業を見ていただく機会があった。

 

今まで何回か授業を見ていただくことがあり、基本的に褒めていただくことが多かったので、私も(少し意識しながら)普通に授業を進めていた。また、故郷はこれまでに何度か研究授業を行い、自分的にも研究が進んでいる教材だったので、少し自信をもって授業していた。

 

ーそして授業が終わり、先生に御指導を受けにいくと、今までとは違う、国語科としての先生の顔があった。あの場面での、焦点化のポイントはそこではない、と。

 

御指導を経て、自分でゆっくり噛み砕いてみると、やはりそちらの方がしっくりくる。教員歴も長くなり、後輩も増えた。しかし、まだまだ経歴でいえば、若手。何十年も教壇に立ってきた人には、かなわない。もっと勉強することがある。謙虚に、謙虚に。毎週、金曜日は私の研究授業の日になった。